【旅ラン】大阪城から二条城
3月末に、大阪城から二条城まで脚を伸ばしました。
大川から淀川、そして宇治川に入り、観月橋から竹田街道を上って二条城に向かいました。このコースは今から400年以上前の春、豊臣秀頼が徳川家康に会いに行き、歴史の転換点となった二条城会見のルートを辿るものです。
実際は淀川を船で移動したようです。大阪の街は水都と呼ばれるように川や堀が縦横に巡っています。かつてはスクールバスならぬ、スクールシップがあったほど生活と水路が密着しています。そして、川伝いに行けば京都までつながります。現在も河川敷を走っていくと大阪城から京都まで信号なしで移動できます。
まずは、大川と淀川の交わるポイントに到着。あえて、つっこみませんが正式な漢字では閘門と書きます。水位差のある場所で船の往来を可能にさせるための施設です。さすが水都ですね。初めて見たときはこのセンスに衝撃を受けましたが、今では当たり前の光景となりました。
淀川に出ると広い河川敷を上っていきます。冬の間には見かけなかった色で溢れていました。そこかしこに春の息吹を感じます。下の写真はユキヤナギ。とても清廉な気持ちになれます。
休憩スポットの関西医大でようやく23km。ここには河川敷では数少ない自販機があり大勢のサイクリストが休んでいました。道中、ロードバイクはたくさん走っていましたが、さすがにランナーはあまりいませんでした。
枚方に入ると菜の花が咲いていました。この時期の黄色はとても眩しく感じます。モンシロチョウも飛んでいました。ポカポカ陽気の下、陽射しをいっぱいに浴びた菜の花のむせ返るような匂いに春を感じます。
京都・八幡のソメイヨシノはまだ咲いていませんでした。今は見ごろを迎えているでしょう。早咲きの桜のピンクが一際鮮やかでした。
こうして道中進んでいったのですが、旅ランの良いところは長距離をゆっくりと走るのでランナーズハイになり易いことです。そして、心と思考が程良くアイドリングします。あるがままを受け入れるマインドフルネスの状態に近づいて、まるで瞑想の時間のように感じます。
また、冒頭でも触れましたが、旅ランはその道の歴史に思いを馳せるきっかけにもなります。子供のころから歴史好きでした。小学館の「まんが日本の歴史」を読み耽ったおかげで今でも詳細に記憶に残っています。なかでも、大津皇子、阿弖流爲、源為朝、木曽義仲、源義経、楠木正成など敗れ去った者たちが強く心に引っかかりました。敗れる者の哀しさ、一族の行く末などを想像すると心が苦しくなりました。
なお、最近は、豊臣秀頼や石田三成など敗者のイメージが変わりつつあります。頼りなかったり、ずる賢かったりするイメージは歴史の勝者側が後世に一方的に形作ったものなのでしょう。石田三成なんて、ここにきて、まさかこんな形で名誉挽回?するなんて思っていなかったでしょう。
さて、豊臣秀頼は二条城まで出向き徳川家康に従う姿勢を見せましたが、結局、二度の大坂の陣の末に豊臣家は滅亡しました。400年以上前の春、淀川を往復した若き秀頼の気持ちはいかばかりだったでしょう。
歴史を踏みしめながらの55kmでした。