晴れ時々走れ

マラソン、トライアスロン、人生について

【静岡マラソン】ノスタルジーラン

まず、訂正を一つ。

前回のエントリーで肉離れになったと書きましたが、酷い状態ではありませんでした。どうやら肉離れまではなく、単に脚の筋肉を痛めただけだったようです。大げさに、神妙に、そして、愚痴っぽい心情を書いてしまい失礼しました。また、怪我を気遣う温かいメッセージまで頂き、ありがとうございました。

はじめは走れないほどの痛みだったのですが、無理をしなかったことが幸いして、4日間脚を休めたら普通に走れるくらいまでに回復しました。そこで当初の予定通り、静岡マラソンに出場してきました。

 

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実はこの大会にはどうしても参加したい思いがありました。それは、静岡は社会人生活を始めた場所であり、趣味として走り始めた場所でもあるからです。

月日の経つのは早いもので、静岡を離れてもう10年以上が経ちました。

マラソンの前日、夜遅くにJR静岡駅に降り立ちました。静岡の街はそこそこ都会でありながら、穏やかで、のんびりとして、上品な佇まいで、独特の空気感があります。

こうした、その街の持つ空気を感じることが大好きです。初めて訪れる街でも街の空気は感じられますが、そこで営み、暮らしたことのある街ではより身体の深いところで記憶が呼び覚まされます。それは、静岡でいえば、駿府城浅間神社という象徴的な景色だけではなく、風のない静けさと暖かさ、製茶工場の匂い、商店街の落ち着いた街灯、ちびまる子ちゃんのラッピングバス、なかやすさんという名字。また、歓楽街の派手なネオンがなく、コンビニもあまりないなど、そこにないモノによっても感じられます。

こうした空気を肌で感じながら、ああ、静岡に来たのだと心から思いました。そして、レース自体も10年ぶりの空気を懐かしむ至福の時間でした。静岡マラソンのコースは何度も通ったことのある場所です。走っているうちに、記憶の引き出しのずっと奥にしまわれてあった、思い出の箱が開きました。それまで思い出さなかったことが不思議なくらい次々と記憶があふれ出てきます。

夜中に駿府城公園をぐるぐる走ったこと。美肌湯にもよく行ったっけかな。大岩の図書館で西原理恵子さんの本にはまった。静高野球部の打球音とネット裏のオールドファンたち。文化会館で自転車を間違えて乗って行ってしまい謝罪しに来た新人先生。OAKの香ばしいカレーとマスター。

おもちゃのタキイをこえてすぐの所に我が家がありました。その角を曲がれば、社会人として歩み始めた若かりし自分に出会えそうな気分でした。10年前の自分と現在の自分が同時に存在するわけないのですが、あまりに保存状態の良い記憶が、それも10年ぶりに湧き出てきたのでそんな錯覚をしてしまうのでした。

さて、コースは西へ進んで安倍川へ。ノスタルジーランは続きます。夜、河川敷を走って用宗海岸に着いた時、海面を照らす月があまりにきれいだったこと。朝、安倍川から市街地に戻ってくると、家並みの向こうにそびえたつ富士山に圧倒されたこと。レインボーカラーのテンジンヤを見て、幾つも食べたおにぎりの味を思い出す。橋のたもとの安倍川もちを売っている店で、結局一度も食べなかったのは残念だった。春になれば久能海岸で風船を回すいちご娘、日本平エスパルスのグリコカフェオーレのテーマ、オーレ!オーレ!オレオレ!が響く。夏の暑い盛りに三保にある50mプールでわざわざスイム練習をしたこともあった。

こうして42.195kmを記憶の地図と重ね合わせながら静岡マラソンを終えました。一つ一つの思い出は次から次へと勝手に湧き出てきた感じです。10年間もご無沙汰だったので溜まっていたものがいっぺんにあふれ出たのでしょう。当時はブログもやっておらず、mixifacebookもありませんでした。記憶の順序はあいまいでしたが、どうでも良い意外なことを憶えている自分の脳みその回路にびっくりしました。

そして、あらためて、素敵な思い出をたくさん与えてくれ、数々の失敗や失態を受け入れてくれ、今の自分を少なからず作ってくれた静岡の土地と皆さんに心から感謝します。今回のレースも、記憶の中の引き出しにある大事な宝箱にしまわれるでしょう。

 

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