晴れ時々走れ

マラソン、トライアスロン、人生について

やり抜く価値

久しぶりに後輩たちの水球の試合を観にプールへ行った。卒業してあっという間に過ぎた17年だが、気持ちの上ではまだ数年上の先輩くらいに感じる。良く言えば今も若々しい気持ちを保っていて、悪く言えば幼く成長していない。

 

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後輩たちのチームは自分たちの代と同じく決して強くない。それでも4回生は最後のシーズンを頑張っていた。リーダーシップを発揮して、チームを引っ張っていた。後日、引退ブログを読むと、彼らがいかに水球に青春を捧げて、上回生の責任感とプレッシャーと戦いながら、足りない技術をカバーするために、ひたすら練習に打ち込んできたかが記されていた。そして、その練習量こそが厳しい試合を勝ち抜く結果につながっていた。文面からはやり切った清々しさが伝わってきた。

 

こうしたキラキラした姿に出会うと、どうしても自分自身の時代に記憶が戻る。17年も経ったのにまったく色褪せない。不完全燃焼の夏。自分が足を引っ張って負けてしまった、あの日。

 

私は中途半端で不真面目な選手だった。初心者で始めたが、水球の楽しさになかなか気づけなかった。他方で他の学生たちの楽しそうな生活に目移りする。水球というマイナースポーツの狭い世界より、広い世界を見てみたかった。

学生ならではの長期海外旅行、アルバイトやコンパなど出会いのある学生生活が羨ましかった。彼女もできず、勉強もせず、泳いで食って寝るだけの生活。そうしたモヤモヤした気分をすべて部活のせいにした。チームメイトに何も言わずに一度辞めて、それから数ヶ月後、他にすることもなくもう一度復帰した。

 

ちょうどシーズン最中だったので、この時の体力のロスは大きかった。一番技術が伸びる時期を体力の回復に費やした。それでも徐々にプレーが上達して水球の楽しさに気づいていく。

ただ、復帰してからも練習ではいつも自分に負けていた。技術も速さも足りない者は他の人以上に練習しなくてはいけないのに追い込めなかった。依存心が強くて弱気な性格だったため、チームの中核となる選手たちに頼り切っていた。

 

レギュラーではあったが何の取り柄もなく、足を引っ張らないことだけが目標だった。自分でも言うのもなんだがもっとビッグな選手になれたと思う。可能性を秘めたまま伸びなかった。結局、自分たちの代はそれなりの選手がそろっていたのに結果を残せなかった。自分が穴になっていた。

 

あの時、もっとやれたはずだ。今でもたまに悔しく情け無く申し訳ない気持ちに占領されて眠れぬ夜を過ごす。その思いがあるから、今も仕事そっちのけに運動を続けているのだと思う。不完全燃焼のあの時代を払拭しするために。

 

体力が充実して撃てば響く伸びざかりの貴重な時期を無駄にして、体力の衰えた今ごろ練習を行うのは悲劇であり喜劇のようだ。本当は仕事や社会的な立場として頑張るステージを変えなくてはいけないのに、いつまでも過去にとらわれている。そして、マラソンやトライアスロンのレースでいくら満足感や充実感を得たとしても、あの時の苦い思い出が消えることはない。

 

ということで、どうしようもない青臭い愚痴が続いてしまった。

 

人生はやり抜くことが大事だ。そうしないと次の人生でも引きずってしまう。ずっと中途半端に生きてしまう。現役の選手たちには、ぜひやり抜く価値に自発的に気づいて日々を大事にして打ち込んで欲しい。人それぞれレベルは違えど、やり抜いた者だけが見える境地と歩める人生がある。そして、やり抜いて引退した4回生のみなさんを心から祝福します。

 

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