晴れ時々走れ

マラソン、トライアスロン、人生について

いよいよ大阪城トライアスロン

いよいよ明日に迫った大阪城トライアスロン大阪城のお堀で泳ぐことは世間的にも結構な関心を呼ぶみたいで、職場の同僚ともトライアスロンの話題になる。

 

同僚「出場するのにどのくらいかかるん?」

私「(控えめに)2万円くらいかな」

同僚「高っ!」

私「せやろ。高いねん(本当はもっとするんだけど)」

 

確かに高いと思う。贅沢すぎる遊びだと思う。

ただ、この金額は大会そのもの、運動時間にして2時間あまりの対価だけではない。大会出場までの期間を含めた対価でもあるのです。例えば大会出場のおかげで、モチベーションを高めて日々の生活を送ることができる。練習にも俄然、力が入る(大会出場がなければ全く練習しないと思う)。こうしたことを含めての大会エントリー料金なのです。

大会まで1か月の準備期間があったとすれば、その間に得られる、精神的に充実した日々+絞れた肉体への対価でもあるのです。また、毎日ごはんを美味しく食べられる特典もついてきます。これを高いとみるか、安いとみるか。

 

また、お金を払ってしんどい思いをすることも不思議がられます。確かにおかしなことです。でも、人間は本来、おかしなことが好きなのです。日常の社会生活では大人として、市民として、おかしなことは許されない。そうした、おかしなことを正当にできるのがスポーツです。

 

よくよく考えれば不思議な行動形態です。誰かが決めたルールにわざわざ則って、一斉に泳いだり、自転車に乗ってぐるぐる回ったり、息を切らしながら走ったりする。

そこに経済的な合理性はありません。賞金を稼ぐわけではない。また、社会的な合理性もない。そんなことをしなくてもコミュニティは維持できます。健康的な合理性もない。本当に健康に過ごすのであれば適度な運動が好ましい。

 

でも、子どもの行動を見れば分かるように、おかしなことを人間はしたいのです。「お堀を泳ぐ」となれば、敬遠したい人もいると思いますが、「どんなんやろ」と好奇心が湧くのも人間です。

 

エントリー費は、このおかしなことをできることへの対価でもある。それを理解してもらうことがなかなか難しい。世の中には飲み会やカラオケみたいな画一的なアクティビティしか理解できない人が多い。逆にトライアスロン的なおかしな世界を知ってしまうと、職場の付き合いの飲み会など余りにつまらない。

 

ということで、明日はおかしなことに全力で打ち込んで苦しんできます。それにしても今回の大会は全国から錚々たるメンバーが集まっているなあ。かなりハイレベルで早くも緊張。これもまた、いとおかし。

 

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