晴れ時々走れ

マラソン、トライアスロン、人生について

【サロマ】ウルトラの世界

サロマ湖100kmウルトラマラソンでチームメイトたちが素晴らしい成績を上げました。一緒に練習をしていた仲間として本当に嬉しく思い、長い道のりを最後まで走り抜いた皆さんを心から尊敬します。

その日、私が起きたのは朝8時すぎ。「ああ、きょうはサロマだったな」と寝ぼけながら思う頃、友人たちはすでにフルマラソンの距離を通過していたわけで。目標に向かってひた走る友人たちと惰眠を貪る自分。そのコントラストに軽く自己嫌悪に陥ります。

 

ということで、今回はウルトラマラソンについて書きます。

私も過去に2度、サロマの大会に出場したことがあります。この大会は伝統があり、人気で、リピーター率が高く、毎年この大会だけのために一年を過ごしている方々もいます。

ロケーション、ホスピタリティなど様々な魅力でいっぱいですが、そのなかで、私が最も好きなのは、日本の標準時からかけ離れた北の大地の早朝の空気感です。この時期の北海道の日の出はあまりに早く、本州育ちの人間にとってびっくりします。特にオホーツク海側は緯度と経度の関係でさらに早くなります。スタート地点に向かうバスに乗りながら午前3時すぎには地平線や水平線がうっすらと明るくなっていました。長い一日の始まりを告げる朝日を浴びて、身体がじょじょに暖まっていくときの神々しさは今も忘れません。

 

朝5時にスタート。早朝の漁師町を抜けて、牧草地帯を進んでいきます。20km地点を走る頃、ラジオ体操の音が聞こえてきます。朝早くから太鼓の演奏で元気づけてくれます。しかし、いろいろと楽しむ余裕があるのも中間点くらいまで。そこから先は、フルマラソンにはない過酷さがあります。

フルは心拍がきつくなりますが、ウルトラは脚にきます。後半に入るとぴたっと動かなくなります。そこからはとにかく苦行です。脚は完全にストライキを起こして動こうとしません。鉄の棒を脚の中に打ち込まれた感じです。本気でリタイアも考えます。しかし、一方で、あまりにも長いレースなので、リタイアしたい気持ちをなだめて誤魔化しながら、10kmくらいそんな状態を耐えると不思議と回復してきます。逆に言えば、回復する時間があるくらい、長いレースだということです。

 

また、興味深いのがウルトラランナーの精神性です。フルマラソンよりも平均年齢にして10歳以上は高いと思います。そのせいか、マラソン人生の酸いも甘いも経験して、黙々と出家者のように走る方が多いです。ちなみに出家について、最近、面白い本を読みました。佐々木閑さんの「出家的人生のすすめ」です。

 

出家的人生のすすめ (集英社新書)

出家的人生のすすめ (集英社新書)

 

この本では「出家は僧侶だけのものではない」とされています。出家とは「これまでの価値観をリセットし、自らが信じる価値観のために全てをなげうって取り組む姿勢」だと言います。趣味のレベルでは到達しません。世俗の価値観を捨て去ることで初めて到達する境地であり、本人にとっては苦痛ではなく最大の歓びなのだと指摘しています。

そして、出家者は同じような目的を持つ人たちの存在と集団の規律によって、道を突き進むことができます。ウルトラランナーを見ていると何だかそんな出家的世界を感じます。

 

また、独りで長時間を過ごすことは思考を豊かにします。7時間から13時間も走り続けるわけです。否が応にもいろいろなことを考えます。自分の来し方を振り返りながら、いま生かされている不思議さについて思いを巡らします。

 

こうした長い道のりを完走したランナーは全員が勝者です。フィニッシュする頃には目標だったタイムなんて最早、関係ありません。ただ、ただ、無事に帰ってこられた自分を褒めたくて、あらゆるものに感謝をしたい気持ちでいっぱいになります。

てなことを書いていると、ふつふつと走りたい気持ちが湧いてきました。私自身はもう5年以上もウルトラの世界から遠ざかっています。そろそろ再挑戦しようかな。

 

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