晴れ時々走れ

マラソン、トライアスロン、人生について

小さな練習

以前はハアハアゼイゼイいわさないと練習ではないと思っていました。心拍を上げた状態で最低でも1時間は走ったり、泳いだりする必要があると感じていました。必然的に練習に対する心理的ハードルが上がり、運動すること自体が嫌になってしまいます。ぐずぐずと二の足を踏んで取りかかれず、一方でレースが迫っているので、夜遅くになって漸く30km走を始めるなんてこともありました。

最近は、練習の内容も変わりました。20分でも30分でも隙間時間を見つけては小さなトレーニングを積み重ねて、ゆっくりでも、短くても、身体を動かすこと自体を楽しんでいます。

 

最近、自分の周りでは、走ることがマンネリ化して、情熱が燃え尽きた人、燻っている人が多くいます。人間のモチベーションは有限で、どこまでも頑張り続けられる人はいません。

走り始めて最初の頃は右肩上がりでタイムは伸びるし、未知の世界を開拓する楽しさに溢れています。でも、成長ユートピアは期間期限のものです。いつしかタイムは横ばいになり、結果が出ない時期がやってきます。練習せずにタイムが出ないのは自業自得なので諦めもつきますが、練習を頑張ったのにタイムが落ちるのはかなり滅入ります。好きなものに裏切られた気分で、そのことを認めるのが嫌なので、逆に自分から距離をとってしまいます。

さらに、勤続疲労であちこちが痛くなったり動かなくなったりします。身体が頑丈なのが取り柄だった自分も、気が付けば小さな故障を抱えるようになりました。そうして、ブランク後に久しぶりに走ると、ここまで走れなんだとがっかりして、さらに落ち込みます。

 

しかし、ここで、休むとずるずるといってしまいます。最初の一週間は長く感じますが、二週間、三週間と休むうちに、いつしか運動しないことが当たり前の日常になってしまいます。これを「トレーニングにおける慣性の法則」と名付けています。運動することが当たり前になれば毎日行っても負担に感じないし、逆に休みが長く続けば運動しない状態が当たり前になります。そして、休んでいるうちに運動すること自体を忘れ去ってしまいます。

 

何か新しいモチベーションで奮起することが必要です。自分の場合、それは見た目でした。ある日、鏡を見て顔や身体の輪郭がボワっとぼやけたなと感じました。服を着ているとそれほど気づきませんが、脱いでみると、あれっという感じ。表情もどことなく緊張感がなくなっています。

最近、家族が見ていたドラマでも、昔は超絶に格好良かったミュージシャンが、角度によってはあごのラインが消えて、やや残念な感じになっていました。それでも一般庶民からすれば格好良いことに変わりはありませんが、どうしても、あごばかりに目が行ってしまいました。

人間は誰しも基礎代謝の低下という自然法則からは免れ得ません。代謝が下がった分は運動でエネルギーを消費しなければならないのです。ということで小さなトレーニングを日々、続けています。

そして、毎日、少しずつ走っていると季節の変化が感じられるのが嬉しい。湿気のなか、ふわっと漂ってきたクチナシの甘い香りに癒され、やっぱり走って良かったなどと思うのでした。

 

写真を撮ったときはだいぶ枯れかけ。もっと早く撮影しておけば良かったです。

 

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