晴れ時々走れ

マラソン、トライアスロン、人生について

故障は突然やってくる?

東京マラソンが開催された日曜日、練習で足を故障した。

15kmすぎくらいで左足首のすぐ上のあたりに異常を感じる。ゴムが切れてしまったような感じで蹴っても進まない。どうやら、肉離れを起こしたらしい。歩けないほどの痛みではないが、やってしもうたという感じ。1週間後の静岡マラソンは絶望的に。嘉門達夫さんの「ちゃらり〜鼻から牛乳」が頭の中で流れた。

今シーズンは調子が良かっただけに残念だ。別大マラソンでは堅実なレースでベストタイムを更新したので、静岡マラソンでは思い切り良くチャレンジをしようと思っていたがスタート前に叶わぬ夢となった。そして、今シーズンのレースはもうない。

 

こうなる伏線はいくつかあった。この一週間、仕事が忙しかったり、子供の寝かしつけでいっしょに寝落ちしたり、気分が乗らずにサボったりして走らなかった。そのため、後悔の気持ちと大会に向けた焦りがありウォーミングアップせずに飛ばしてしまった。

ささいなことで奥さんと険悪な状態になり、そのモヤモヤな気持ちを晴らそうと身体の声をきかずに飛ばしてしまった。

東京マラソンに興奮して、出場する仲間への対抗心を燃やして必要以上のペースで飛ばしてしまった。

これまで、何度か肉離れやシンスプリント、ぎっくり腰などをやっているが故障するときは大概、気持ちや生活態度が荒れている。そして、やってしまってからようやく悟る。まったく成長しない自分に呆れる。ハリセンで頭を引っ叩いてやりたい。

 

何気ない日常の価値や普通の状態のありがたさに人はなかなか気づかない。そして、日常や普通でいるためには謙虚や節制という地味な心構えが必要だ。しかし、人は得てしてそうした努力をさぼってしまう。なぜなら、日常や普通というのはゼロの状態であり、進歩が見えず、また、所与のものと勘違いしているからだ。そして、欲ばかりかいてプラスになろうとする。運よくプラスになれば自分の努力を褒めておごりの心が生まれる。

ただ、しっぺ返しは必ずやってくる。そして、マイナスの状態になって初めてゼロの状態の価値を知る。そして、成長を続けるためにゼロの土台がいかに重要か気付く。今回の肉離れの一件はつまり、成長するための努力や上を目指す向上心は大切なことだが、日々の生活の乱れや気持ちの荒みを放置したままだといつか土台が崩れて痛い目を見ますよ、という寓話だ。よく高校野球の名監督が「日々の生活をきちんとすることが重要」と言って、部員たちに他人への挨拶や靴の整頓や通学路のゴミ拾いなどをさせているが、その意図するところをオジサンになってようやく噛み締めている。日常をおろそかにすると、そうした心が染み付き、どこかで失敗をして肝心なところで力を発揮できないぞと。

 

若いうちはゼロの価値に気づき難い。成長のスピードが速くマイナスの状態に陥りにくいからだ。しかし、オジサンになればプラスの状態にはなかなか巡り合わない。必然的にマイナスにならないようにすべきことを学習していく。それが大人になるということだ。一般的にはね。

自分の場合は未だに大人になれない。行き当たりばったりのいい加減な人生を歩んできた。そのツケを今さらながら払っているのだと思う。それでも昔に比べて少しは成長したのか、足が痛むのを無理して最後まで走る暴挙をしないくらいの自制心は身についていた。とりあえず、あと一週間、安静に過ごし、筋肉の神様が微笑んでくれることを願う。

七転び八起き、九つ転び十起き。

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