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晴れ時々走れ

マラソン、トライアスロン、人生について

走ることの当事者性

年末年始はテレビで高校駅伝箱根駅伝を楽しんだ人が多いと思います。

高校駅伝では世羅高校の男女優勝、箱根駅伝では青山学院大学の圧倒的な強さにしびれました。そして一人一人のランナーたちが見せる、ふとしたシーンに心を動かされました。

 

例えば、高校駅伝女子の最終5区でトップでタスキをもらった選手。最初の1kmを速いスピードで入ります。おそらく、後続のチームの選手の実力を知っているからのオーバーペースでしょう。その後、脚が動かなくなり抜かれてしまいます。こういうシーンを見ながら、「この感覚、分かる。脚が動かなくて苦しいよな、頑張れ」と応援します。

また、箱根駅伝で繰り上げスタートとなったチームの1年生の選手が脚をもつれさせながら走るシーンがありました。フォームも表情も崩れるほどの走りです。こうした状況を見ながら、「前の区間の選手も最後、脚が攣っていた。挽回しようと、タスキをつなごうとペースを乱したんだろうな。悔しくて惨めな気持ちでいっぱいだろうな」と共感します。

多くのチームの選手が倒れこみながらタスキをつなぐなかで、トップを走る青山学院大学の選手は違いました。さわやかな表情で颯爽と走り抜ける選手が多く、なかには走り終えて軽くピースする選手もいました。こうしたシーンを見て「本当に調子良い時はこれくらい余裕があるのだろうな。むしろ、どれだけ普段の練習で走りこんできたのだろう」などと思ったりします。

 

このように、普段から走っている人が持つ「当事者性」によって感じられるものがあります。マラソンの経験のない人からすれば、設定タイムを大幅に落とす選手を見て「何やってんだ」と思うかもしれません。しかし、趣味であっても普段から走っている人であれば、どうあがいても調子の悪い日の感覚や、勝負をかけてペースを上げることがどのくらいダメージとなり、その先のレースを厳しくするが分かります。

 

こうした当事者性は一人一人の人間に「共感」することにつながります。テレビを観ている人の中には番組を「コンテンツ」として消費するだけの方もいます。走っている人がカッコいいだとか、変な顔だとか、態度が気に入らないとか、神ような視点で駄弁を弄するよりは、頑張っている人たちの気持ちを一片でも感じ取る方が、何倍も楽しく観られると思います。

 

トップレベルの選手たちと市民ランナーの間に競技のレベル差はあっても、感情に違いはありません。スポーツで得られる「爽快感」「達成感」「嬉しさ」「悔しさ」「苦しさ」のような気持ちの普遍化が、これからのスポーツにとってますます重要であり、そうした社会になっていけばと思っています。

 

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