晴れ時々走れ

マラソン、トライアスロン、人生について

思い出の選手の引退

大阪マラソンExpoの第一生命のブースで元選手が一般ランナー向けの指導をしていました。掲示されているボードには見覚えのある名前がありました。

 

勝又美咲さん。

思わずクリニックの列に並びました。15年前のことを思い出しました。それは、自分が走り始めたきっかけでもあります。

 

社会人になって赴任した土地で彼女の存在を知りました。将来有望な中学生ランナーでした。全国大会で活躍する姿は地元メディアでしばしば取り上げられていました。高校は駅伝強豪校に進学してチームを日本一に導きました。

 

大学、実業団とステップを積んで、マラソンデビューをします。初マラソンとなる東京マラソンでは入賞を果たしました。しかし、その後、国際大会の大舞台に出場するチャンスは得られず、この春引退をしました。

 

私が趣味のマラソンを始めたきっかけは、15年前、その選手が出場していた都道府県対抗女子駅伝でした。選手たちが少しでも順位を上げて襷をつなげようと走る姿が清々しく格好良く思えました。社会人になって何か新しいスポーツに挑戦したいと思っていた時でした。元々、持久走は嫌いじゃなかったのでジョギングを始めました。

 

初めての大会は数か月後に行われたハーフマラソンでした。若さもあり、今から比べてもそれなりのタイムでフィニッシュしたが、レース後はあまりにもヒザが痛くて歩けませんでした。産まれたての子ヤギのように脚をふるわせよろめきました。

 

そんな自分もその数年後にフルマラソンに挑戦して、これまでに45回完走しました。走るほどに楽しくなり、きっとこの先も走り続けるはずです。

 

一方で、彼女はもう競技者として走っていません。社業の傍ら、市民ランナーに走り方を教えています。中学生のとき勝気で凛々しい目をした彼女はもう引退し、自分はオジサンになっても市民ランナーとしてレースに出ています。

 

走るきっかけを作ってくれた元選手と話をしながら、嬉しさと寂しさを感じました。大きな夢は叶わなかったかもしれませんが、自分を含め多くの人生に走る喜びを教えてくれました。

 

握手をして別れました。本当にお疲れ様でした。

 

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